K-1 MarkⅡを買って一年半。
私、K-1 MarkⅡとお別れする事にしました。
今思えば、いろんなところに行きました。
目を閉じると色々なことが浮かんできます。
あんなこと。
こんな事。
あったでしょ。
久しぶりに一眼レフのフルサイズ機を買ったので浮かれました。
FA77mmF1.8 Limitedを装着して撮れる写真は本当に素晴らしかったのです。

K-1 MarkⅡと過ごしたキラキラした日々は、きっとこの先かけがえのない思い出として私の胸の中に残る事でしょう。
・・・色々と振り返ると色々思うことはありますが。
手放すと決めてヤフオクで売る準備をしていると妙にすっきりとした気持ちになりました。
以前にも書きましたが、値段の高いカメラを持つ重圧がストレスだったのもあるのかもしれません。
手放したと言っても別にK-1 MarkⅡが嫌いになった訳ではありません。
K-1 MarkⅡはおそらく私が手にしたカメラの中で一番素晴らしい機種です。
ただ単に私の気持ちがK-1 MarkⅡに向かなくなってしまっているのが悪いのです。
手放した理由をつらつらと書いていきます。
手放した理由 その1 持ち出しが億劫になった
これは一眼レフの性ですね。
どうしても気楽なお出かけの時は持っていくのは躊躇っちゃう。
これは何度もカメラを買った事のある人間なんで、判ってた事なんですけどね。
先日、久しぶりにドライブに出かけたのでカメラを持って行ったのですが、結局車の中に置いて一度も撮りませんでした。
海のきれいな場所に行ったのですが、
降りて「ああ海きれいだな」と思っても車にあるカメラを持って行こうと思わなかったんですよね。
戻ってカバンから取り出すのもダルいし
歩く時にカメラをぶつけないかとか
重たいなとか
気にしながら歩くのが嫌だったんですよね。
今までは
撮りたい気持ち>億劫な気持ち
だったのですが、なんか気持ちが乗ってこない。
自分でも驚きだったのですが、一度も撮らなかったカメラを入れたカバンを降ろす時に
「ああ、ひょっとして一眼レフは必要ないかも?」
って思った訳です。
手放した理由その2 身の回りをリセットしたくなった
私は定期的に自分の身の回りをリセットしたくなります。
リセットは新しい自分に出会う儀式なのです。
どういう風にリセットするかと言うと、
色んなものを袋に詰めてゴミに捨てちゃう訳です。
カメラ必要ないかもと思ったら、
「カメラ関係の本とかも処分できるかも?」と思いはじめ、
ブックオフに売りに行ったり、

雑誌などのお金にならないものはビリビリに破いて捨ててしまいました。

カメラを手放す事で周りのグッツも手放せると思うと早くカメラ売っちゃおうって思ったんです。
手放した今はとってもスッキリです!\( ˆoˆ )/
手放した理由その3 構えるのが嫌になってきた
単純に大きなカメラを構て撮るというのが嫌になったのもあります。
大きなカメラというのは持っているだけで警戒もされますし、撮ってる自分も周りに粗相がないか気を配ります。
撮る方も撮られる方も構えてしまう物。
それがカメラというものです。
一度、人のお家の花を撮っていて
「何撮ってる!!」と怒鳴られた事があります。
それ以降、特に散歩中はビクビクしながら撮るようになった気がします。(^_^;)
でも、自分が撮るものって散歩中のものだったり、
街に出て気になったものを撮ったりする訳なので一眼レフというのは少し肩身が狭いカメラな訳なんですよね。
総合的にまとめると
上に色々億劫になったとか書きましたが、決して私自身写真を撮ることが嫌になった訳ではありません。
こうしている今も写真を撮りたくてたまらない位、写真欲に溢れています。
ですが、手ぶらに近い状態でうろつきたいと言う気持ちもあります。
確かに一眼レフと単焦点の組み合わせは写りとしては申し分ないです。写真の写りで言うとこれに勝るものはないと思います。
しかし、いくらいい被写体に出会ったとしてもカメラを持っていなければ意味がありません。
そうなるとポケットにいつも忍ばせてあるスマホ、あるいは高級コンデジでもいいんじゃないか?と思っちゃた訳です。
しかし、これもどうなってるかわかりません。
ひとまず一旦身の回りをリセットしてみて、またやっぱりカメラ欲しいなと思ったら買えばいいし、思わなければ自分の興味のある事を始めたいと思っています。
とにかく、ワクワクする事を求めていきたいと思います。