私が写真を撮り続ける理由

子供の成長の記録を撮ろうと写真を撮り始めて8年が過ぎた。

時間の経過は早いものだ。

今では子供を撮るよりも散歩に出かけて自分が「いいな」と感じるものを撮る方が多い。

なぜ写真にこれほどまでも惹かれるのか

どうして、休日に朝早く起きて、重たいカメラを首からぶら下げて写真を撮るのか?

おそらくカメラを持ってない人からしたら、理解できないと思う。

じゃあ、どんな理由があるのか?

・・・と改めて聞かれると私自身も答えにつまる。

気の利いた答えを言えればいいんだが特に思いつかない。

単純にカメラという道具が好きだからというのもあるが、やはり写真を撮るという行為が楽しいからだろう。

被写体を探しているときも「ぐっとくる光」、「美しい色合い」、「面白い」を見つける事にいつもワクワクしている。

あと、帰って鑑賞するのが楽しい。

「よし!」と思って帰って見たら「あれ?」という事もしばしばなんだが、「おお!」っというようなグッとくるものが撮れている事もある。その一枚に出会うために取り続けているのかもしれない。

そして鑑賞した後に写真をSNSで公開するのも楽しい。(反応があるとなお嬉しい)

つまり、「カメラを操作する楽しみ」「被写体を探す楽しみ」「撮った写真を見る楽しみ」「見てもらう楽しみ」とたくさんの「楽しい」があるから写真を続けて行けるんだと思う。

写真で自分の存在を確かめる

私が写真を撮り続けている理由は純粋に「楽しいから」という事が一番なのだが、別の理由もある。

それは写真から感じる「自己」に魅力を感じるからだ。

まず、写真っていうのは撮るという事に対して、自分が何者かに慣れた気になる。撮るという行為で己を感じるのである。

週末フォトグラファーと名乗っているのもそうだ。

自分が週末だけ特別な者になれる。変身願望?に近いのかもしれないが「何者かでありたい」のだ。

ただ、「撮る行為」よりも自己を感じる要素が写真にはある。

それは撮った写真から感じる「自身の存在」だ。

例えば風景や物、動物や人。写真にはその時間を切り取ったものが写っている。

しかし、それと同時にそれを撮った自分がそこにいたという気配を写真から感じる事がある。

何もない空間を撮ったとしよう。何も映ってないので、当然写真には何も写っていない。しかし、何かありそうな気がするし、何かいそうな気配もある。

その気配は何なのかと言うと紛れもなくその写真を撮った人の気配だ。

写真は「自分が撮った」という事実を通して、自分が生きて存在していたという「自己」を認識することが出来る物だと思う。

「その場所」、「その時」で撮った自分を思い出し懐かしい気持ちになり、その時の自分と邂逅する事ができる。写真にはそんな力が具わっているように思うのである。

これからも撮り続けて

こうやって書いてみると写真というのは手軽なんだけど奥の深いものだなと改めて思う。

自分が撮った写真は撮った時の思いや記憶がプラスされ、後で見返した時に味わい深い物になる。

私自身も写真をその時の光や匂いを思い出し、自分が生きた時間を慈しみ、大切にしながらこれからも写真を撮り続けて行きたいと思う。

それと同時に自分の心だけでなく、誰かの心に届く写真を一枚でもいいから撮りたいと思う。

「いい写真が撮りたい」それが私の一番の撮りたい理由なのかも知れない。

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