電車という乗り物

電車という乗り物が好きだ。

私は地方に暮らしている為、電車自体に乗ると言うことがあまりない。

一年で一度も乗らないということもある。

しかし、家から歩いて1分もかからない場所に線路があり、夜布団に入って耳をすませていると電車の音が聞こえる。

意識しなければ気にならない、気にしなければ忘れている。私にとって電車とはそういう存在だ。

普段の生活では無縁で気にもしない乗り物なのだが、たまに無性に意味もなく眺めたくなる事がある。そして写真におさめたくなる。電車というのはなかなか被写体として映えるものなのだ。

このように、電車は私にとって無縁な乗り物だが、かつて我が家では電車はもっと身近な乗り物だった。というのも父親が電車通勤だったからである。

電車好きな父

朝。いそいそと支度をして、七時の電車に間に合わせる為、自転車をかっ飛ばす父。もっと余裕を見て出れば良いのにと思いながら、私は眠たい目をこすって朝食を食べていた。

父は電車が好きな男だった。電車に乗りたいが為に家から離れた職場でもいいと思ったくらいである。初めてその話を聞いた時はかなりの物好きだなと思った。

父は今も電車が好きかはよく分からない。たまにGoogle Mapを開いては路線を追ってみたり、テレビで電車が出てくるとボソボソとつぶやいたりしている所を見ると興味はあるのだろう。

一般の多くの男の子達が父親の趣味や職業に影響されるように私も「電車が好き」と言う、ある意味押し付けのような物を感じ取っていた。「電車は良いものである」という、洗脳のような感情を受けていたのかも知れない。なので幼稚園の頃の将来の夢は「電車の運転手」という事になっていた。

今考えると絶対そんな仕事したくない。

お仕事ご苦労様です

今思い出してみても電車の何が好きだったのか謎だ。

父も電車の何が好きなのかは未だに謎である。カッコいいと思っているのか・・・いや、そんな事を言っているのを聞いたことがない。撮り鉄であった訳でもない。乗り鉄であったわけでもない。

ただ、家にはNゲージの鉄道模型があったので、もしかしたら運転してみたかったのかもしれない。

大人になった今、なぜ電車に惹かれるのか?

なんでたまに電車を見たくなるのかというと、一つは写真を撮りたいのもあるが、走っている電車を見ていると妙に旅心をくすぐられるからだと思う。「この電車に乗って、あてもなく走って行きたいな」と妄想するのだ。

言ってしまえば現実逃避。

多分、心の中では旅したい気持ちがあるのだろう。

「遠くへ行きたい」という番組を日曜だったか、朝に見ていても旅をしたいなんてなんかジジ臭いなと思っていた。

しかし、「知らない町を歩いていてみたい。どこか遠くへ行ってみたい」という主題歌が流れ出すと子供ながら、あてもなく知らない場所を旅してみるのは冒険のようであり、カッコいい事かも知れないとも思っていた。

大人になってみるとそういう旅が、何とも貴重な事のように思えてくる。子供の頃のように「知らない場所=冒険」とは行かないまでも、私も電車に乗って、知らない町に行って、その場所の風景や匂いを嗅いで心を満たしたいなと思ってしまうのである。

つまり、電車に普段乗らない者にとって電車はどこか遠くの知らない町に連れて行ってくれる旅する乗り物なのだと思う。

旅してみたい衝動からか、駅のホームに電車が入って来るのも好きだ。普段利用している人からしたらなんてこと無いと思うだろうが、ホームにゆっくり入って来て扉がスーッと開くのを見るとワクワクする。

その扉の向こうにまだ見ぬ景色が待っている、そう思うと心がザワザワするのである。

なんか好きなんだよな。

結局、総合的に電車という乗り物にロマンを感じているんだと思う。

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